2014年 11月 03日
動物園・水族園廃止論の弊害 |
本日,希少野生生物の保全会議.まことに申し訳ないが,密猟その他の関係から,いかなる会議に出たかをここで書くわけにはいかない.まあ,里山のある生き物の保護に関するもの,とだけ言っていこう.
さて,世の中の大半の人間は,田んぼや畑の近くに希少動植物がいてもいなくても,どちらでもいいと考えている.昨年度,うちの学生に農村でアンケートを取らせたところ,おおよそ「自分たちの身近にメダカやトノサマガエルはいた方がよいが,かと言って積極的に保護活動をするつもりはない.行政が主導してやるなら手伝いぐらいはしてもよい」との傾向が出た.ま,こんなものだろう.これら多くの方々の思考を非難しても仕方がない.
里山の希少動植物の保全は,地権者である地元の農村の住民の理解と協力が絶対に必要だ.この点は高山植物の保護と全く異なる点だ.実際,里山保全に携わる行政の方々の仕事の半分以上は人間相手の折衝であって,生き物を対象としたサイエンス分野はメインではない.
こう考えると,エルザ自然保護の会などが唱える「動物園・水族館廃止論」は受け入れられないことがわかる.「動物園や水族館で見られる動物たちは自然状態と大きくかけ離れており,学ぶべきことは何一つもない.これらは虐待施設にすぎない」との彼らの主張はある一面においては正論だ.しかし,エルザ自然保護の会・会長の藤原英司氏は「自分がかつてオーストラリアで野生のカンガルーを観察した時は毒草で下半身が発疹だらけになった.これが自然観察というものだ.動物園でカンガルーを眺めることなど,何の勉強にもならない」と言うが(同会 HP より),これは「動物観察は特定の限られた人間だけがすればよい」と言っているに等しい.誰しもがオーストラリアの原野に出かける情熱を持てない.
これら特定の限られた人間や団体だけで,野生生物保護のための資金やマンパワーを集められる,大勢の市民の理解や協力は不要だというのであれば,それでよかろう.しかし,上述のように里山の生き物を守りたければ,近隣住民に生き物に関心を持ってもらわなければ何にも始まらないのである.本日,私が出席した会議の目的である種の保護の際も,地域住民の方々にまずは興味を持ってもらうこと,好きになってもらうことにこれまで相当な労力と時間を要したのである.
動物園や水族園を廃止せよというのは,生物学者でない一般市民が生き物に興味を持つきっかけの一つを奪えと主張するに等しく,私としては絶対に受け入れられない.親が動物園へ連れて行ったことによって,動物好きになった子供は少なからずいるはずである.動物園がなくても,映像技術の発達した現在ならDVDやネットで野生動物を知るには十分だとの主張にも,全く同意できない.モニタ越しに見る動物と肉眼で見る動物とでは,感じ方に雲泥の差が出る.実物を見なければ,ますますバーチャルの世界でしか生き物を捉えられなくなる.
自分は,この手の過激なアニマルライツ論に対する問題点について,共通教育の講義で熱っぽく語ることにしている.
さて,世の中の大半の人間は,田んぼや畑の近くに希少動植物がいてもいなくても,どちらでもいいと考えている.昨年度,うちの学生に農村でアンケートを取らせたところ,おおよそ「自分たちの身近にメダカやトノサマガエルはいた方がよいが,かと言って積極的に保護活動をするつもりはない.行政が主導してやるなら手伝いぐらいはしてもよい」との傾向が出た.ま,こんなものだろう.これら多くの方々の思考を非難しても仕方がない.
里山の希少動植物の保全は,地権者である地元の農村の住民の理解と協力が絶対に必要だ.この点は高山植物の保護と全く異なる点だ.実際,里山保全に携わる行政の方々の仕事の半分以上は人間相手の折衝であって,生き物を対象としたサイエンス分野はメインではない.
こう考えると,エルザ自然保護の会などが唱える「動物園・水族館廃止論」は受け入れられないことがわかる.「動物園や水族館で見られる動物たちは自然状態と大きくかけ離れており,学ぶべきことは何一つもない.これらは虐待施設にすぎない」との彼らの主張はある一面においては正論だ.しかし,エルザ自然保護の会・会長の藤原英司氏は「自分がかつてオーストラリアで野生のカンガルーを観察した時は毒草で下半身が発疹だらけになった.これが自然観察というものだ.動物園でカンガルーを眺めることなど,何の勉強にもならない」と言うが(同会 HP より),これは「動物観察は特定の限られた人間だけがすればよい」と言っているに等しい.誰しもがオーストラリアの原野に出かける情熱を持てない.
これら特定の限られた人間や団体だけで,野生生物保護のための資金やマンパワーを集められる,大勢の市民の理解や協力は不要だというのであれば,それでよかろう.しかし,上述のように里山の生き物を守りたければ,近隣住民に生き物に関心を持ってもらわなければ何にも始まらないのである.本日,私が出席した会議の目的である種の保護の際も,地域住民の方々にまずは興味を持ってもらうこと,好きになってもらうことにこれまで相当な労力と時間を要したのである.
動物園や水族園を廃止せよというのは,生物学者でない一般市民が生き物に興味を持つきっかけの一つを奪えと主張するに等しく,私としては絶対に受け入れられない.親が動物園へ連れて行ったことによって,動物好きになった子供は少なからずいるはずである.動物園がなくても,映像技術の発達した現在ならDVDやネットで野生動物を知るには十分だとの主張にも,全く同意できない.モニタ越しに見る動物と肉眼で見る動物とでは,感じ方に雲泥の差が出る.実物を見なければ,ますますバーチャルの世界でしか生き物を捉えられなくなる.
自分は,この手の過激なアニマルライツ論に対する問題点について,共通教育の講義で熱っぽく語ることにしている.
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by nanamisuzuka
| 2014-11-03 14:13
| 環境保全関係