2017年 03月 28日
「基本的猫権」の尊重とは「基本的蝉権」や「基本的蛙権」を蹂躙することと同義 |
3月27日の朝日新聞の記事より.「基本的猫権」を訴える御仁がおられるそうな.
以下,この御仁に対する批判ではない.ただ,ネコと聞いて多々考えさせられることがある.
琉球列島では,ノネコによるアマミノクロウサギやヤンバルクイナの捕食が,これら希少種への重大な脅威となっている.根本的解決としては,ノネコの排除しかない.そして,捕獲されたノネコに飼い主が見つからなければ殺処分するしかない.しかし,過激猫愛護は「ネコの命もヤンバルクイナの命も同じ命」として絶対反対する.
しかし,この理屈には大きな落とし穴がある.百歩譲ってノネコ1頭とヤンバルクイナ1羽が同じ命だとしても,ノネコが殺すヤンバルクイナは1羽では収まらない.つまり,猫愛護派の言い分は「ネコ1頭の命の方が,ヤンバルクイナ10羽の命よりも重い」に等しいのである.
我が故郷の神戸市が平成29年4月1日に施行する「人と猫との共生に関する条例」に対しても強い違和感がある.この条例では,神戸市がネコの譲渡会や地域猫活動に対する支援を行うことと定められている.
捕獲した野良猫に避妊手術を施し,その後放獣&地域住民による餌やりとの一連の地域猫活動への行政の支援だ.これにより野良猫の減少が期待される.良いことづくめではないか・・・・.と誰しもが思う.
ただ,一度捕まえた野良猫に避妊手術を施すと,それより子供は生まれないが,その野良猫の個体は生き残る.そして,その個体は生きている間セミやカエルを多々捕食する(うちの実家のネコは夏にはしょっちゅうセミを咥えているそうな).
日本本土の自然にはネコはいない.つまり,カエルやセミ,トカゲは本来ネコに殺されずにすむはずなのである.なのに,実際には年間多くの個体がネコに殺されている.
結局のところ,今回の条例は神戸市と言う公の組織が「避妊手術のために捕獲した野良猫を再び野に放つことを神戸市役所は公認します.そして,カエルやセミのようなゲテモノは,ぷりちぃな野良猫に殺されるのは仕方がないのです.命の優先度は見た目だけで決まるのです.1頭のネコの方が,何百何千のカエル,トカゲ,セミよりも大事なのです.カエルやセミどもは見た目悪く生まれた自らを呪いなさい,諦めなさい」と宣言しているとしか思えない.たとえ,今回の条例によって,長期的にはネコの減少=殺されるカエルやセミの数を減らすことにつながるとしても,自分はこの条例に賛成できない.行政が生き物を見た目で判断しているからだ.かわいそうだが,自分は捕獲した野良猫は譲渡会等で飼い主が見つからなければ殺処分やむなしという考えである.
神戸市役所は野良猫問題には一切関知しませんの方が行政の在り方としてまだマシ,と自分は思う.この方がスジが通っている.
もちろん,行政がネコの譲渡会への支援を行う点については,もろ手を挙げて賛成だ.
by nanamisuzuka
| 2017-03-28 18:20
| 環境保全関係