2015年 09月 29日
こじつけが酷すぎる |
9月3日付朝日新聞「私の視点」より.
跡見学園女子大学・奥田洋子教授(英文学)の論説の要点は以下の通り
1)学生に文学作品を読ませ,その解釈を論文形式にして,他の学生に伝えさせる.文学作品は論理的に書かれているわけではない.だからこそ,前述の学生に行わせる課題は,論理的に書かれた優れた論説文を材料とするよりは,情緒的に書かれている文学作品の方が,論理を構築する訓練に役立つ
2)文学作品の解釈は人によってまちまちである.それゆえに,多角的にものを見る習慣が身につく
3)グローバル化に伴う異文化間の摩擦が激しくなる中,情緒的な成熟を達成する上で,文学が必要
というもの.そして,以上の理由から文科省の国立大学の文科系学部の廃止縮小に反対する,というのが奥田洋子教授の結論だ.
さて,文学と言うものに全く価値を認めず,小説なんぞ死んでも読みたくねえ(ただし,平家物語や太平記などの軍記物除く)という当方ではあるが,2)と3)及び結論は全面的に賛成.
でも1)の言い分は,あまりに奥田教授の思い込みが激しく思われ100%は首肯できず.「学生に文学作品を読ませ,その解釈を論文形式にして,他の学生に伝えさせる課題は,論理を構築する訓練に役立つ」との主張は納得できる.しかし,なぜそれが「論理的に書かれた優れた論説文を材料とするより,文芸作品の方が訓練効果が高い」につながるのかが全くの意味不明.文学研究者の自らの研究分野に対する贔屓の引き倒しとしか思えん.そう判断した理由をそれこそ「論理的に」説明してもらいたいものだ.
これは,昆虫学でもよく生じる事態だ.「こういった研究は,こうこうこうして世間のお役に立ってます!!」とアピールするが,その大半はこじつけだ.また,これまた大半の学者は自分らのアピールがこじつけであることを内心では理解しているものなのだ.
跡見学園女子大学・奥田洋子教授(英文学)の論説の要点は以下の通り
1)学生に文学作品を読ませ,その解釈を論文形式にして,他の学生に伝えさせる.文学作品は論理的に書かれているわけではない.だからこそ,前述の学生に行わせる課題は,論理的に書かれた優れた論説文を材料とするよりは,情緒的に書かれている文学作品の方が,論理を構築する訓練に役立つ
2)文学作品の解釈は人によってまちまちである.それゆえに,多角的にものを見る習慣が身につく
3)グローバル化に伴う異文化間の摩擦が激しくなる中,情緒的な成熟を達成する上で,文学が必要
というもの.そして,以上の理由から文科省の国立大学の文科系学部の廃止縮小に反対する,というのが奥田洋子教授の結論だ.
さて,文学と言うものに全く価値を認めず,小説なんぞ死んでも読みたくねえ(ただし,平家物語や太平記などの軍記物除く)という当方ではあるが,2)と3)及び結論は全面的に賛成.
でも1)の言い分は,あまりに奥田教授の思い込みが激しく思われ100%は首肯できず.「学生に文学作品を読ませ,その解釈を論文形式にして,他の学生に伝えさせる課題は,論理を構築する訓練に役立つ」との主張は納得できる.しかし,なぜそれが「論理的に書かれた優れた論説文を材料とするより,文芸作品の方が訓練効果が高い」につながるのかが全くの意味不明.文学研究者の自らの研究分野に対する贔屓の引き倒しとしか思えん.そう判断した理由をそれこそ「論理的に」説明してもらいたいものだ.
これは,昆虫学でもよく生じる事態だ.「こういった研究は,こうこうこうして世間のお役に立ってます!!」とアピールするが,その大半はこじつけだ.また,これまた大半の学者は自分らのアピールがこじつけであることを内心では理解しているものなのだ.
by nanamisuzuka
| 2015-09-29 18:40
| 本職?の教育に関係するもの