2014年 08月 23日
書評『西郷「征韓論」の真相』 |
これは、池田清彦氏が「天皇の戦争責任・再考」(洋泉社)に書いた一章にも同じことが言えよう。池田氏は「自分は一次史料に目を通す暇はない」と公言しながら、徹底的に一次史料をあたる近現代史家の秦郁彦氏の著述を「笑える」とバカにしている。一次史料に目を通さないシロウトが、一流の歴史学者にイチャモンをつける行為・・・・。さてさて、どちらが「笑われる」行為なのやら。
今回、私が手に取ったのは川道麟太郎「西郷『征韓論』の真相」(勉誠出版)。わざわざ購入したのは、著者の川道氏が建築学が専門の元関西大学工学部教授だからだ。現在、一応、理科系の昆虫学者と言うことになっている私は、近代史のとある人物に関する概説を執筆中である。そこで、理科系の学者が史学、とくに諸説ある西郷隆盛と征韓論をどのように論じているかに興味を持ったわけである。
まず、この川道氏は著書の中で、毛利敏彦や坂野潤治、家近良樹氏といった近代史の大物学者たちをなで斬りにしている。特に、毛利に対しては集中砲火を浴びせている。
毛利敏彦の征韓論政変の著作は有名だ。私自身、毛利の著作は大学生時に何度も読み直した愛読書の一つでもあった。毛利説は、1)西郷隆盛はあくまで朝鮮と平和的に交渉することを考えていたのであって、征韓論者とはいいがたい、2)大久保利通や伊藤博文の最大の狙いは西郷の失脚ではない。彼らのメインターゲットは佐賀の江藤新平の追放であった、の2つが柱であった(はず)。
大学生時の私は、シロウトながらも、やたらと江藤を高く持ち上げ、悲劇のヒーローと描きがちな毛利の著述に多少なりとも違和感を覚えないでもなかったが、徹底的に史料をあたる毛利の論説に「これが史学と言うものか」と感じさせられたものである。
川道氏の著作に話をもどそう。川道氏の結論は、西郷は死に場所を求めて朝鮮へ赴こうとしたのであって、戦争を目的とした征韓論者でも、平和交渉論者でもない、というものである。
さて、川道氏が同著で引用している文献は、著者が新たに発掘した未公開史料と呼べる代物はなく、史学系学部がある大学の図書館ではだいたい閲覧可能な有名な専門書や史料集ばかりだ。別にそれが悪いとはいわない。しかし、西郷隆盛および征韓論は、戦前から現在まで多くの歴史学者が盛んに研究し、諸説を発表してきたテーマである。
お偉方の歴史の大御所の見解に専門外の人間は盲従せよとまでは言わない。しかし、徹底的に研究しつくされた史学課題に対して、一般刊行物だけを読んだ門外漢が挑み、一流学者の従来の知見に替わる新説を提示しようと言うのは、はっきり言って無理がある。少なくとも、従来の説に対する川道氏の反論は、私にとって納得できるものではなかった。
たとえば、川道氏は「当時の新聞記事を『新聞集成明治編年史』で調べてみたが、該当記事はなかった」と書いている。この部分はプロの歴史家から見れば冷笑ものだろう。「新聞集成明治編年史」は一部の新聞記事の抜粋にすぎない。川道氏の著述のこの部分は「ヤフーのニュース一覧になかったので、この事件はマスコミに取り上げられなかったものと考えられる」と言っているのと同じレベルである。もし、当時の新聞に該当記事がないことを確認したければ、東京大学の明治新聞雑誌文庫に籠って、朝から晩までマイクロフィルムや新聞復刻版とにらめっこするしかない。そこまでやって、はじめて「当時の新聞では扱われなかったものと考えられる」と書けるのである。そこまで調査できないと言うのであれば、最初から新聞記事なんぞに触れなければいいのだ(ちなみに、私は東大明治新聞雑誌文庫の常連客です)。
「西郷『征韓論』の真相」の最後に「この書に対する批判や反論が欲しい」とあるが、近代史学者がこの本を論文で取り上げ、積極的に反論を加えることはないと思う。この本は、征韓論・論争史に一石を投じたと言える代物ではないだろう。
再生医療の世界にアマチュア学者は存在しない。設備にかかる費用が莫大なので、アラブの石油王でもない限り、アマチュアが自宅にmy実験室を持つことは不可能だ。しかし、歴史と言うやつは、極論すれば紙と鉛筆さえあれば、誰でも研究成果を発表できてしまう(それが成果と呼べる代物かどうかは別にして)。本能寺の変や竜馬暗殺の謎については、学者気取りのアマチュアの取るに足らない俗説が巷にあふれているではないか。「西郷『征韓論』の真相」はそこまでのものではなく、読んでいてそれなりに面白い本ではあるのだが・・・・。
私自身は、本著の書評は平成26年6月29日付読売新聞に掲載された、前田英樹・立教大学教授による評しか知らない。前田教授は「(川道氏は)玄人はだしとはこういう人のことか」「川道氏はこれまでの学説、証言類の曖昧さ、自家撞着を次々と明らかにした。痛快である」と激賞するが、私の評価は以上のとおりだ。前田氏は歴史学者ではないし、私もしかり。プロの歴史学者が、本著に対しどのような価値を見出すのかは、興味があるところ。
ずいぶん、川道氏の著作に対し批判的な書評となってしまったのだが、自分も他人事ではないかもしれない。現在執筆中の近代史関連の著作は、自分の力量をふまえ概説に徹しよう、従来の説をひっくり返すなどと大それた企みは持つまい、としみじみ思った。
by nanamisuzuka
| 2014-08-23 23:10
| 歴史系ネタ