2017年 07月 28日
ヒグラシの声を聞く |
今年初めてヒグラシの声を聞きに山のふもとの某神社へ行く。まずはヤマカガシがお出迎え。
ヒグラシの死体を見つけた。自分の標本箱にヒグラシの標本はない。生きているヒグラシを毒ビンに放り込むことは、絶対にできない。また、死んでいる個体を拾って、標本にすることもできない。たとえ死んでいたとしても、ヒグラシの体に針を刺すなんぞしたくないのである。それぐらい自分にとってヒグラシの存在は特別である。拾った死体は切り株の上にそっと置いた。安らかに眠られたし。
すると、神社のお社の柱でいきなり別のヒグラシが鳴き出した。ヒグラシが人の胸程度の高さの位置に止まって鳴くことはあまりない。
・・・・・。人と生き物との関係とは何だろうか。ヒグラシの声を聞くたび、考えさせられる。遺伝的撹乱との観点から、遠方地のホタルやメダカを放流してはいけない。十二分に正論だ。良くわかる。でも、ヒグラシの声を聞いていると、学者連が「無秩序な放流は遺伝的撹乱だ!!絶対にやめなさい!!」とギャアギャア言うことに何の意味があるんだろ?と疑問に思ってしまう。生き物を増やしたいとの人々の思いを無碍にして良いのか。
このようにヒグラシの合唱は自分から科学的思考を奪ってしまうのだ。
by nanamisuzuka
| 2017-07-28 19:19
| 動物の分類や分布・飼育など