2015年 04月 15日
福井の原発再稼働反対について思うこと(3) |
本日の朝日新聞より.高浜原発3号機4号機の運転を禁じる仮処分が,福井地裁から出た.
ある程度予想された結果であっただろう.それはさておき,気になったのが新聞に掲載された原告側(=原発反対派)の事務局長の「脱原発の民意は選挙で反映されない.選挙は,地縁や付き合い,組織力が勝敗を決めてしまう.原発を止めたい民意は政治には届かない.だから司法の力で原発を止めるのだ」との発言だ.
田舎ほど組織型選挙を実施する方が勝つ,と言うのはわかる.しかし,どれだけ地縁や組織力を駆使しても,実際に票を投じるのは有権者である.内心では「原発は嫌なんだけどな~」と思いつつ,仕事やしがらみから仕方なく原発推進候補に票を投じるというのであれば,その有権者の反原発意識はその程度なのだと解釈すべきである.
選挙で民意がどれくらい反映されるのかどうかは,選挙制度改革と絡み,常に関心を持ち続けなければならないテーマである.しかし,少なくともタテマエでは「選挙結果は民意の表れだ」としておかないとだめだ.司法判断に任せると言うのは,結局は民主政治そのものを否定することになる.「脱原発の民意は選挙では反映されない」と言うのは,選挙結果のあまりに自分勝手な解釈である.逆に,高浜町長選挙で脱原発派が勝利したとすれば,今回の原告団体は「脱原発が町民の民意だ」と言いたてるにちがいない.
もちろん,「民意」との言葉を都合よく使うのは政権側も同じ.先日,管官房長官は沖縄入りした際,「基地移転反対派の沖縄県知事が誕生したが,それは複数の政策が争点となった知事選挙の結果であって,基地移転反対との民意で現知事が当選したとは考えていない」と発言した.
これはいただけんわな.外交・安全保障の責任は国にあって,一都道府県の県民の判断に委ねるわけにはいかないと言うのは正論だ.しかし,沖縄県民の民意が基地移転反対にある事をまずは政府として公式に認めたうえで話し合わないと,事態は何も進展すまい.
原発であれ,基地であれ,「民意」と言う単語があまりにもご都合主義で扱われすぎている.
by nanamisuzuka
| 2015-04-15 19:10
| 時事ネタ