2015年 01月 13日
楠木正成と湊川神社 |
確か小学校低学年の時、授業参観日の前に担任が「みんなが尊敬する人を書いてください」と言って、生徒全員の尊敬する人が教室の後ろに張り出されたことがある。同級生たちはお父さんとか、エジソンとか、ナイチンゲールとか無難なところを書いていたと記憶するが、自分は堂々と「楠木正成」と記してやった。こいつの親父は右翼か、と眉をひそめる父兄もあったかもしれぬ。
もっとも、最近では楠木正成を知らぬ無知の輩も増えているので、眉をひそめることができる親御さんはまだマシな方かもしれん。
それにしても、湊川神社付近の地名は歴史を感じさせる。楠町、橘町、多聞通などだ。楠町は説明不要だろう。橘町とは楠木氏が奈良朝時代の名族・橘氏の末裔と伝えられていたことに由来する。多聞通は正成の幼名は多聞丸との伝承があることに由来。
平清盛にしても楠木正成にしても、両者ともに神戸市にゆかりのある人物ではあるが、神戸市出身ではない。
よく考えてみれば,神戸市はおろか、兵庫県全体でもこれと言った有名人が出ていないことに気付いた。当方が「兵庫県出身の有名人を一人あげよ」と問われたら、大西瀧治郎(海軍中将.特攻隊生みの親)と答えるかもしれぬ。
実際、自分は小学校で「○×さんは兵庫出身の偉い人です」などと習ったことがない。兵庫には越前の橋本左内に該当する人物がいないのだ。
仕方ないので、神戸市はもっと楠木正成をアピールすべし。もっとも、これをやりすぎると「楠木正成は神戸出身です」と誤解する連中が出てくるから要注意だ。たとえば、愛媛県松山市には「夏目漱石は松山に生まれました」と勘違いしている阿呆が少なくないことを,自分はよく知っている
by nanamisuzuka
| 2015-01-13 20:18
| 歴史系ネタ